レールの敷き方_3
まだまだ続いています。もうこれで終わりにしたい…。
娘が文章をまとめる力がないのは、母譲りかもしれません。娘よ、すまぬ。
身も蓋もありませんが、できることなら習い事は全部、ずっとやらせたいのです。そのために仕事を辞めようかとすら、考えたこともあります。塾もありますしね。
今は割とその状態に近くて、ほぼ毎日どこかに通っています。本当はまだやりたい習い事があるのだけど、娘自身が自分のキャパシティと休息日とを鑑みたのか、あまり強く言わなくなりました。
中学からでも高校からでも大人になってからでも、やりたいと思ったらやったらいいのです。そこはいつでも応援します。
たられば話は考えても考えてもキリがないことは承知しています。が。
三歳のあの日、初めての習い事がピアノじゃなくて団体競技の方だったら、今どうなっていただろうか。ピアノだって、もう少し教室を吟味していたら、今どうなっていただろうか。
ピアノじゃなくてバイオリンだったら。早くから英語をやっていたら。英語圏へ旅行に行っていたら。習字をやっていたら。能や日舞をやらせていたら。バレエだったら。チアだったら。もう意識が亜空間へ突入したまま、帰って来られなくなりそうです。果てしない。
どれも箸にも棒にも引っかからないのに変わりはないのですが、それでもいろいろ(しつこいくらいに)考えてしまうのは、東京に住んでいるからだと思います。
なんだかんだ言って、東京は凄いです。県立至上主義な地方出身の私からしてみたら、学校も習い事も、東京の選択肢の多さったらもう、よりどりみどりじゃないですか。東京に生まれ育つメリットは、この部分にもあると思います。
ということは。このメリットを、うまく活かすことができれば、我が子にマッチしたレールが敷けるのです。きっと。
また話が戻るけれど、やっぱり親次第なんですね。悟りました。親のマネジメント能力だったり、財力だったり、特異な才能を持っていたり、そして極め付けは親の性格だったり。私のようにいつまでもグズグズ言っていると、案外こどもはサバサバするかもしれません。
反省は大事ですが、過去を振り返ってばかりもよくないです。まだこれから始められることも山ほどあることに気が付きました。知らないと選べないので、娘にはもっともっといろんなものを見聞させたいな。
勉強はもちろんしてほしいし、行きたい学校にも行ってもらいたい。
でもそれより、勉強のできるおバカさんにはなってほしくないので、家以外の場所での経験を積んで、引き出しの多い人生を送ってもらいたいものです。
引き出しの多い人生に行き着くためのレールは、様々な分岐を通って高低差の激しい道もあって、スリリングだけれど走りがいがあって、もしかしたらレールは金属でなく別の素材でできているかもしれないし、宙に浮いているかもしれません。娘なら通れると信じて、赤信号で止まっても、脱線しかけて焦っても、逆走することがあっても、しっかり見守りたい。
そのためには、できる限り習い事を続けて、経験を積んでもらわねば。うまいことやっていけないどうか、これから手腕が試されそうです。がんばるべし。